ひとやすみ 2021-09
日記で確認してみると 2021-08-22 あたりから「体調が万全じゃない」「調子がよくない」とちょくちょく書いてあって、そのまま 2021 年 9 月に突入して、まるっと 3 週間くらい不調が続いてしまった。お仕事も何日か休んだ。ぼくの人生においてよくわからん心身の不調がここまで長く続いたのはおそらく初なので、状況を記録しておきたいと思って 2021-09-11 の夜にこのページを起こした。けっこう「まいったなあ」と感じている。 https://gyazo.com/e0168675730995759af5bd803b0b5455
メモ
わかりやすく「これだ!」と思い当たる原因がない
こういうのはだいたい複合的な要素の組み合わせという気はする
それも影響ゼロではないだろうけれど、そんなに大きな影響を受けている感じもない
日記を書く習慣があってよかった
こうして「いつから不調を感じていたっけ?」を確認できる
日記を書いている時間は心が落ち着いたりもする
日記がなかったら「不調だ」と明確に気付くまでにもう少し日数を要したかもしれない…
日記に「不調だ」と書くの、ぼくにとっては少し勇気を要する行為ではあったが、がんばって書いておいてよかったし、もうこんなページをつくっているくらいだから今後は気軽に書いていきたい
まったくお布団から出られない、というような完全無気力状態には今のところ陥っていない
それなりに体を動かして活動したりはできる
ただ、元気なときでも「気が重い」「気が乗らない」と感じるようなものは、もうぜんぜん手につかない
複数のことを並行して進めようとすると、一気に頭が働かなくなる感じ?
ちょっとしたことをひとつずつこなすくらいなら、まあ
一時的にタスクをこなせるキャパシティが減っているような?
これまで週にこなせていたタスク量を 100 とすると、今は 60 くらいしかこなせないような気がする
少なくとも 100 の分量を引き受けるのは怖いから適宜で断ると思う
身体でいうと、腕の怪我が心配で怪我する前のように重いものを持ち上げるのは怖い、みたいな
体が元気なわりにお仕事は進められそうもない、という状態で休暇を取得することにうしろめたさを感じてしまった
身の回りの人が不調そうにしていたらぜったいに「休んだ方がいいよ」「休みましょう」って言うけれど、いざ自分が休むとなると心理的な抵抗を感じてしまうことが判明した、つらい話
2008 年 4 月に会社員になってからこれまで「お仕事を休む」を意識的に訓練してこなかったとは言えると思う
ふだんからもっとカジュアルに「今日は休みまーす」を練習しておけばよかったかもしれない
あんまり認めたくないけれど、たぶん自分には成人するまでの間に植え付けられた「働かざるもの食うべからず」的な価値観がこびりついていて、理性と知識のレイヤーで「休んだっていいじゃん」「休むのは大事じゃん」と考えてみても心の奥底の方で拭い切れないなにかがあるように感じる、とてもつらい 勤め先の会社がまともだと、こういうときは本当に助かるな…と思った
ただでさえ休暇の連絡をするのが怖いんだから、変なことを言ってくる会社だったら怖すぎて連絡できなくなりそう
まともな会社・まともな考えの人々と付き合っていくのは大事だ…
「どうにも調子が悪くて休みます」と連絡したら「休んでください!」と返してもらえて本当に感謝
このまま元気が戻ってこなかったらどうしよう、と考えるとめちゃくちゃ怖い
とはいえ「ここで無理をして、もっとひどい状態に向かう」のは本当に厳しいシナリオだとわかっているので、焦らずにこの状況と向き合っていくしかないよなあ
診察室で 30 分間くらいしゃべったのかな、ぼくの思考の整理を手伝ってもらうような時間を過ごした
各種チャットツールや SNS の類はなるべく見ないようにしている
人々が元気に活動していると、自分が取り残されているような感覚を抱いてしまいそう
リアルタイムに情報がどんどん生成されて流れてくる系は気持ちが焦るからこういうときは離れるのがよさそう
そもそも近年は SNS から離れて暮らしていたからよかったと思う
自分の 1 倍速でやっていきましょう
今の自分の状況から離れて、物語の世界に没入できるのはいいのかもしれない
生産がむつかしい状況のときは、それを受け入れて消費を楽しむことにするといいのかもしれない 自分は人生のどこかでこういう不調な時期を迎えそうだなあ、となんとなく思ってはいた
「まさか自分がこんなことになるとは…」「なぜ自分が…」という認知だったら、もっとつらくなっていたかも
いい形で乗り越えたいものですな
牧場に行ってお散歩したり川を眺めながらランチしたりする時間は、癒しを感じる (仮説) ぼくはもともとのんびりマイペース人間だと思うんだけど、上京して会社員になってから本来の自分のペースよりもハイペースで過ごしてしまっていて、那須塩原市で過ごすようになって自分のペースを少しずつ思い出して、ペースを下げて暮らしたくなってしまった? 妻がいてくれたのはよかったなあ
話相手がいて助かる、おそらく話相手がいるだけでだいぶ助かっている
自分がしんどい状況のときほど、身近な人のありがたみを強く実感できるのかもしれない
自分の場合は、こうやって気持ちを言葉にして吐き出すとだいぶ楽になる